後藤隆夫
関東へら鮒釣研究会へ令和3年に入会し、入会初年度から前代未聞の3年間連続年間優勝を果たした。3年間連続東大関位の地位を保持したが、横綱の称号は辞退し、更なる活躍を目指す。
昭和48年、千葉県佐倉市の生まれ。小学生の頃から自転車に乗って鹿島水路、鹿島川、印旛沼、印旛中央水路へ出掛けていた。リール竿を使う吸い込みの鯉釣り。時に良型のへらもマブナも来る。ちゃんとしたへら鮒釣りは高校に入ってからで、釣り場で出会った大人の常連に教わった。
ところが自動車免許を取った後、へら鮒釣りから離れてしまう。夢中になったのはゼロヨンの走り系。今も自動車業界で働いているが、当時から車を扱うのは好きで…エンジンを作って走らせ壊していた。スピードを上げて勝負する。事故に遭わなくて本当に良かった。今はスピードに目が追いつかない。
その後、20代半ばからバス釣りの世界へ。アルミボートを買い、亀山ダム、高滝湖、印旛沼、利根川へトレーラーで引っ張っていた。最大型は印旛沼での54㎝。大会にも出たが結果は出せていない。
20年ほどバス釣りを続けた後、へら鮒釣りの再開は平成28年の終わり頃。前から「またやりたい」の気持はあった。まだいいかと思っていたが、年取ったら目が弱くなるよと言われ、「今の内かな」と考え、月に一度ほど清遊湖や富里乃堰のウドンセットに挑戦する。しかし、冬の管理池は厳しかった。そんな折「三島湖なら長竿で20か30は釣れるよ」と聞かされ、では行ってみよう。 平成29年の2月か3月、いきなり27尺を買い込み、高校の頃一緒にやっていた友達とともゑの桟橋からポンプロープへ向かう。バラグルの宙釣りで本当に20~30枚釣れたのである。結果、ちょいちょい三島湖へ足を運ぶようになった。長年やってもバス釣りはよく分からなかったが、へら鮒釣りはイメージできる。おかげで釣果にもつながる。再開後1~2年して高山政弘さんも居る三島湖釣友会へ入り、年間優勝も取ることが出来た。そして令和3年、関べら入会。
さて、へら鮒釣りは場所が大切と思う。一場所二場所、三に場所。試釣には今も例会1カ月前から通うようにしている。試釣の時、何を考えているか?「魚が居る」はモチロン大切だが、混まないで釣れる場所、人災を避けられる場所を重視している。とはいえ、例会当日の混雑までは分からない。しかも、3月例会の戸面原ダムのように前日の雨で30㎝増水し、魚が入れ替わることもある。 あの時は中島岬に入った。前日は型も良かった。「光生園の立木に居た小型中型が上がってくるかもしれない。しかしそこそこ釣れるだろう。優勝が30キロなら22~23キロかな。勝てないかもしれないが大コケはないだろう」と考えた。しかし…思っていた以上に皆が釣れてしまう。当日の中島岬は型が細かく、北風で流れも出て苦戦。前日居た大型は何処へ行ったのだろう。
他に例会で大切と思うことは…魚の型があまりに大きいと危険。大型は食い渋ると手に負えない。なにより、いない所でやってもムダなため「魚が動かない」ことは重要で、「例会当日居るか居ないか」を想像するのは楽しい。ギャンブルはせず、居着いた魚を釣れる、うまくいけば爆発するところを目指す。ポイントとしては豊英湖の仲台、精進湖の中央ロープが好みだが、ギャンブルが当たった相手に70~80キロ釣られたら「仕方ない」と諦める。
場所に加えて竿の長さも大切。試釣時、底が取れれば必ず底釣りをやってみる。宙はもちろん、底釣りでも「手元を釣った方が良いのか、沖に出した方が良いのか」を考えている。そして「何をやったらダメか」を試すようにしている。本番で釣れない時、前日のダメをやってみると…案外正解だったりするのである。
入会早々三連覇することが出来たが、これからも楽しく仲良く釣りたい。皆親切で穏やかな関べらが大好きです。